本稿は, 戦後日本の石炭産業合理化政策の一翼を担っていた中小炭鉱合理化指導制度(合理化指導)を分析し, 1960年前後の中小炭鉱の実態を明らかにするとともに, 通産省がどのような中小炭鉱合理化対策を立てたのか, そしてそれが中小炭鉱の経営の維持にどの程度貢献したのかを検討する。
中小炭鉱の財務状況は芳しくなく, 合理化のための資金調達は困難であった。また, 坑内環境の劣悪さ, 新技術への労働者の不適応, そして設備の設置や管理の方法の不備などのために, 安定した生産を実現できていなかった。低賃金労働に依存した生産や小規模分散型の流通も中小炭鉱経営の特徴であった。こうした実態を踏まえて, 生産面では, 安全かつ安定的な生産を維持しながら歩留の向上によって生産原価の低下を図る方針が志向され, 選炭設備や排水設備の整備などが勧告された。また, 流通面では, 小規模分散型から大規模集中型へと流通を再編することで流通経費を引下げる方針が志向され, 商品炭銘柄の集約などが勧告された。しかし, 合理化によって商品炭の生産量や品質が変化するにもかかわらず, 取引先の開拓などといった販売上の問題にかんする具体策は示されなかった。
合理化指導の勧告は実施面での問題を抱えていたものの, 指導を受けた炭鉱の約半数は3年以上経営を継続した後に閉山した。また, いくつかの合理化対策を実施した炭鉱もあった。これらのことから, 合理化指導は中小炭鉱の無秩序な閉山によって生じる生産量の減少や地域社会への悪影響を抑制することに貢献したといえる。
This article explores that the MITI's rationalization guidance to small coal mines played a major role in its overall policy for rationalizing coal industry in postwar Japan.
Its main measures were to increase the yield of coal by setting up coal washers rather than mining machines and to expand the transportation capacity.
Despite financial and technological difficulties, some small mines that followed this guidance managed to survive.
Therefore, it can be said that this policy, by controlling the pace and scale of mine closure, successfully mitigated the worst effects of mine closure on the economy and society.
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