日本人の最大の関心事の1つは,まわりにいかに評価されているかである。従って仕事に対する勤機づけのためには,公平な人事評価が不可欠である。この公平な人事評価のためには,その評価基準,評価の仕方が,その時代の人々の価値観と合致していなければならない。江戸時代の元禄バブル崩壊後の享保時代に,武家の家訓をまねて多くの商家に家訓・家法がつくられた。しかしその表面はともかく,その内容には資本制商家経営に独特なものも多くふくまれていた。享保初期の人事評価にはやはり年功主義が多かった。これはこの時代は基本的には単純再生産の経済体制であり,仕事上の熟練は経験年数に比例していたからである。従って昇進などの評価基準の中心は主人への忠節であり,それが在所登りのときの勤務報告に詳しく記されていた。享保末期になり,商家の規模が大きくなり,新技術の導入が行われるようになると,能力主義,業績主義の人事評価があらわれた。その最たるものは,主人の長男といえども無能なものは隠居させられるという厳しい家訓である。この江戸時代の商家の人事評価の制度,考え方の中には,現在の日本企業の能力主義をベースにする人事評価の萌芽が既に存在していた。
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