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AN10030184-20030331-0108  
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Release Date
 
Title
Title 核時代の使徒パウロ : J.G.バラード『ヴィーナスの狩人』を読む  
Kana カク ジダイ ノ シト パウロ : J.G. バラード ヴィーナス ノ カリュウド オ ヨム  
Romanization Kaku jidai no shito Pauro : J G Barado Vinasu no karyudo o yomu  
Other Title
Title A pôtre Paul de l'ère nucleire  
Kana  
Romanization  
Creator
Name 藤崎, 康  
Kana フジサキ, コウ  
Romanization Fujisaki, Koh  
Affiliation  
Affiliation (Translated)  
Role  
Link  
Edition
 
Place
横浜  
Publisher
Name 慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会  
Kana ケイオウ ギジュク ダイガク ヒヨシ キヨウ カンコウ イインカイ  
Romanization Keio gijuku daigaku hiyoshi kiyo kanko iinkai  
Date
Issued (from:yyyy) 2003  
Issued (to:yyyy)  
Created (yyyy-mm-dd)  
Updated (yyyy-mm-dd)  
Captured (yyyy-mm-dd)  
Physical description
 
Source Title
Name 慶應義塾大学日吉紀要. フランス語フランス文学  
Name (Translated)  
Volume  
Issue 36  
Year 2003  
Month 3  
Start page 108(27)  
End page 54(81)  
ISSN
 
ISBN
 
DOI
URI
JaLCDOI
NII Article ID
 
Ichushi ID
 
Other ID
303603  
Doctoral dissertation
Dissertation Number  
Date of granted  
Degree name  
Degree grantor  
Abstract
核時代の使徒ーJ・G六徒ラバ1ウドロ『ヴィーナスの狩人』を読むー藤崎 康どうして私の人生を、そうでないかもしれないではなく、けずにいられたでしょうか?そうかもしれないほうにこそ賭ルネ・ドーマル『類推の山』1聖性のゆくえ、あるいはフエイクな神?      フランケンシュタイン神話は、科学的合理主義に対抗して、科学の諸概念を、錬金      術の神秘や感情と再結合しようとした、十九世紀のロマン主義的反抗に由来する。          デイヴィッド・J・スカル『マッド・サイエンティストの夢-理性のきしみ』   英国のSF作家J・G・バラードに、『ヴィーナスの狩人』(一九六七年)という、ちょっと類を見ないよう伽  な傑作がある。この短編がとてつもなく面白いのは、バラードが科学と魔術の、あるいは合理と非合理の対決㎜                             ・ん  を、SFや幻想小説や文明批評の手法をもちいながらも、そうした手法ないし意匠に淫することなく、むしろ107(28)登場人物の心理や意識のひだを精妙に描くことで、きわめてユニークな物語に仕あげているからだ。バラードはこの作品でまた、近代合理主義(理性信仰)という、今やさまざまな揺らぎやほころびを見せているものの、依然として私たちの生活を律している「教義」i一八世紀の西欧で確立した啓蒙思想、すなわち「理性の光」ですべてを吟味しようとする知的態度の延長上にあるーが支配する現代にあって、人知をこえた「聖なるもの」はいったいどんな場所に降りてくるのか、という重大な問いを投げかけている。 ここで、『ヴィーナスの狩人」の読解にはいるまえに、近・現代とはいかなる時代なのかを、おおまかに輪郭づけてみよう。1近代化にともなう都市化、高度な産業化、科学技術の飛躍的な発展、市場経済の圧倒的な拡大、そして大衆消費社会の到来によって、教養、芸術、観光、民俗、健康、エコロジー、美容、セックス、「癒し」等々、文化や肉体にかかわる一切が商品化され、情報化され、日常生活の利便性や快適さがめざましく増大するいっぽうで、地縁、血縁などの旧来の共同体が無残に掘り崩され、核家族化が進行し、伝統的な文                             リサイクル化・芸能・芸術が衰退する(それらはキッチュー1まがいものとして再利用される)といった状況を生んだ。                         ミ イズム また人びとは、他人への関心や共感力を極端に欠いた自分主義ーそれは「自分探し」「自分らしさ」といっ                    こまた気味の悪い言葉を生んだーに閉じこもり、濃やかな人間関係を避けるようになった。そしてかれらは、そ   よ                               エ   ト スれまで拠りどころにしていた生活規範や行動様式を手放し、いわば「自由」を獲得した代償として、寄る辺なさ、精神的空白にとらわれるようになったー。ごく粗雑にまとめれば、近・現代とは、そういった時代である。(↓それはまた、近代化目工業化のはてに世界が「脱魔術化」され(M・ウェーバー)、宗教が世俗化され、いきおい「聖なるもの」や「崇高さ」が見失われた時代1しかし同時に、非合理的な呪術や終末予言を売りものにする新種の宗教が、あるいはカリスマ待望や過剰なナショナリズムが、合理主義の影の部分に寄生する奇妙な時代でもある。へ,) もちろん、近代化の負の側面は、いまざつと触れたいくつかの間題にとどまらない。たとえば大量生産.大量消費は大量廃棄を生み、排気ガスによる地球温暖化、異常気象、熱帯雨林の破壊と砂漠化といった事態を生じさせた。そして今日の科学主義は、生命創造という「神の領域」さえ侵犯しよ
 
Table of contents

 
Keyword
 
NDC
 
Note

 
Language
日本語  
Type of resource
text  
Genre
Departmental Bulletin Paper  
Text version
publisher  
Related DOI
Access conditions

 
Last modified date
May 06, 2024 07:13:03  
Creation date
Apr 27, 2007 13:21:05  
Registerd by
mediacenter
 
History
 
Index
/ Public / The Hiyoshi Review / Revue de Hiyoshi. Langue et litterature francaises / 36 (2003)
 
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