ハンブルクは「地理的状態」から生ずる経済的可能性のみならず,「外国人」受入などを契機として,ドイツ・ハンザの一商業都市からヨーロッパの貿易・金融中心地となる。さらに,統一的なドイツ国民経済が成立すると,「世界市場」のドイツの出入口として発展していく。だが,ハンブルクの金融構造の基礎を形成した前期的商業資本,マーチャントバンカーが誕生したのは,18世紀半ば以降であり,この資本の近代的資本への脱皮と共に,他方では,ハンブルク銀行資本は,ベルリン大銀行の吸収・合併の対象となっていった。かくて,ハンブルク銀行資本は,ベルリン大銀行を支配的中枢資本とする「個別的」金融資本内部に従属的に編成され,その活動をドイツ「国民的」金融資本と「世界市場」との関係の中で展開するのである。こうしたプロセスを,個人銀行の展開,株式銀行の成立,ベルリン大銀行のハンブル.クヘの進出および証券市場と対外証券投資の特徴などの点から追及していく。
|