慶應義塾大学学術情報リポジトリ(KOARA)KeiO Associated Repository of Academic resources

慶應義塾大学学術情報リポジトリ(KOARA)

ホーム  »»  アイテム一覧  »»  アイテム詳細

アイテム詳細

アイテムタイプ Article
ID
AN10005325-20030000-0205  
プレビュー
画像
thumbnail  
キャプション  
本文
 
本文公開日
 
タイトル
タイトル 福沢諭吉と天皇制 : 明治十五年、『帝室論』執筆への軌跡  
カナ フクザワ ユキチ ト テンノウセイ : メイジ ジュゴネン、 『テイシツロン』 シッピツ エノ キセキ  
ローマ字 Fukuzawa Yukichi to tennosei : Meiji jyugonen, "Teishitsuron" shippitsu eno kiseki  
別タイトル
名前  
カナ  
ローマ字  
著者
名前 吉岡, 拓  
カナ ヨシオカ, タク  
ローマ字 Yoshioka, Taku  
所属 慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程  
所属(翻訳)  
役割  
外部リンク  
 
出版地
東京  
出版者
名前 慶應義塾福澤研究センター  
カナ ケイオウ ギジュク フクザワ ケンキュウ センター  
ローマ字 Keio gijuku Fukuzawa kenkyu senta  
日付
出版年(from:yyyy) 2003  
出版年(to:yyyy)  
作成日(yyyy-mm-dd)  
更新日(yyyy-mm-dd)  
記録日(yyyy-mm-dd)  
形態
 
上位タイトル
名前 近代日本研究  
翻訳  
 
20  
2003  
 
開始ページ 205  
終了ページ 235  
ISSN
09114181  
ISBN
 
DOI
URI
JaLCDOI
NII論文ID
 
医中誌ID
 
その他ID
 
博士論文情報
学位授与番号  
学位授与年月日  
学位名  
学位授与機関  
抄録
明治十五(一八八二)年四月から五月にかけて、福沢諭吉は『帝室論』(『福澤諭吉著作集』〔以下、『著作集』と略記〕第九巻所収。以下本文中に記載された頁数はすべてこれに対応する)と題する論文を時事新報社説欄に発表した。その内容は、天皇が日本国民の精神的紐帯であることを認めた上で、今後の日本社会において天皇が「人心収撹の中心と為りて国民政治論の軋礫を緩和し、海陸軍人の精神を制してその向う所を知らしめ、孝子節婦有功の者を賞して全国の徳風を篤くし、文を尚び士を重んずるの例を示して我日本の学問を独立せしめ、芸術を未だ廃せざるに救うて文明の富を増進する」(二一二頁)存在であるべきことを主張したものであった。福沢の天皇制擁護論として捉えられるこの『帝室論』に対し、これまで議論を行ってきた研究者は少なくなく、その評価も多岐にわたっている。よってそれらを統一的にまとめることは難しいが、批判の諺りを恐れずあえてその作業を行うのなら、おおむね以下の二つの見解に分けられるといえよう。一つは、家永三郎氏や武田清子氏などに代表されるように、『帝室論』の論理の中に同時代の他の天皇制論との質的な差異を見て取り、「(皇室を・筆者註)国家統一の手段として最大限に利用しようとしていただけにすぎない」「根底においては、共和主義者であった」(家永氏)、「本当の学問の独立・自由を確立しようと目ざしていた」(武田氏)といった評価を与えるものである。もう一つは、ひろたまさき氏や安川寿之輔氏などに代表される、『帝室論』の論理の中に天皇制国家の形成に左祖しようとする福沢の意図を読み取り、「天皇制国家の発展に、その早熟なる帝国主義的発展に、本気でとりくんでいった」(ひろた氏)、「福沢は、天皇制を『政治社外』に位置づけることによって、むしろそれが、もっとも政治社内的役割を果たすことを期待していた」(安川氏)といった評価を与えるものである。これら相反する評価のうち、いずれにより妥当性があるかを『帝室論』の分析だけから判断することは難しい。福沢本人の「時に居て時を語るは政事家の事にして学者の本分に非ず」という自負と異なり、彼にはその発言の内容を時勢に応じ変化させていく傾向が多分にあり、その時ごとの議論だけから彼の内にある思想・意識を見て取ることは容易ではないからである。よって、『帝室論』の評価、福沢の天皇制認識を考えていく上で不可欠なのは、『帝室論』の内容だけを分析するのでなく、そこに至るまでの軌跡、『帝室論』執筆以前の福沢の天皇制認識について検討していくことではないだろうか。こうした点を考慮した研究として、既に私達は山田昭次「天皇制イデオロギーと福沢諭吉」を得ている。しかし私見では、氏の研究は『帝室論』における福沢の「批判性の大きな後退」を強調するあまり、それ以前の福沢の天皇制認識に対し過剰に高い評価を与えているように思われる。以下本論において明治初年から『帝室論』執筆までの福沢の天皇制認識について、彼の著作と書簡に主によりながら検討していくこととしたい。
 
目次

 
キーワード
 
NDC
 
注記

 
言語
日本語  
資源タイプ
text  
ジャンル
Departmental Bulletin Paper  
著者版フラグ
none  
関連DOI
アクセス条件

 
最終更新日
Nov 02, 2007 13:50:22  
作成日
Nov 02, 2007 12:33:46  
所有者
mediacenter
 
更新履歴
Nov 2, 2007    フリーキーワード, 本文 を変更
 
インデックス
/ Public / 福澤研究センター / 近代日本研究 / 20 (2003)
 
関連アイテム
 

ランキング

最も多く閲覧されたアイテム
1位 出生率及び教育投... (821) 1st
2位 『うつほ物語』俊... (490)
3位 新自由主義に抗す... (389)
4位 731部隊と細菌戦 ... (358)
5位 『疱瘡除』と『寿... (278)

最も多くダウンロードされたアイテム
1位 Predicting crypt... (2452) 1st
2位 家族主義と個人主... (1916)
3位 中和滴定と酸塩基... (570)
4位 731部隊と細菌戦 ... (564)
5位 猫オルガンとはな... (535)

LINK

慶應義塾ホームページへ
慶應義塾大学メディアセンターデジタルコレクション
慶應義塾大学メディアセンター本部
慶應義塾研究者情報データベース