ポストゲノム時代と呼ばれた近年, 生命情報科学分野ではゲノム情報を解読するための手段やツールの開発が進展してきた。しかし, 未だゲノムから情報を読み取り機能を予測することのできる全ゲノムベースのシミュレーションモデルは存在しない。ゲノムから読み取ったタンパク質の発現やその挙動という生命の複雑かつ巧妙なシステムの情報を統合しシミュレーションモデルとして提供することは, 実験では予測や推定が困難な現象を抽象化して扱うことができるという点で有意義である。また, 時間軸や現象と現象の"隙間"を埋める事を可能にするなど次世代の生命科学研究において重要な役割を担うと考えている。そこで本研究では, 全ゲノムベース細胞シミュレータG-Cellの開発を行うとともに, G-Cell上に大腸菌K12株のゲノム配列を入力情報としたDNA複製モデルを実装し, 複製の開始, DNAの伸長複製, それに関わる酵素複合体の形成に注目して現象の考察を行った。本モデルは大腸菌に関する既存の情報の統合という位置付けも担っており, 大腸菌に関する主要なデータベースであるEcoCycに登録された全てのDNA複製関連タンパク, 酵素, 遺伝子を実装できるよう, 1つの酵素・昨日を1つのコンポーネントとして実装し, 必要に応じて機能を追加削除できる汎用的なシステムに設計した。この大腸菌K12株DNA複製モデルを用いて, DNA複製関連酵素複合体の形成にかかる時間, 元となる単量体の量の変化のシミュレーション, 複製関連タンパク質複合体であるプライモソームの挙動の調査を行った。その結果, 本モデルを用いてDNA複製関連複合体形成の律速段階となる分子の量の変化を観察することができ, また複製に伴う塩基の複製ミスによる誤複製塩基の蓄積を時間経過に沿って観察することができた。本研究で構築したG-Cellプラットフォームと大腸菌DNA複製シミュレーションモデルは, 入力とするゲノム情報を変更するだけでその情報を解釈し挙動の変化に反映することがある程度可能である。本モデルを合成生物学やゲノム設計といった分野で利用し実験結果と比較対照することで, 実験では解明が難しい細胞内での複合体量の時系列変化や, DNA複製や転写に伴う1つ1つの塩基へのタンパク質の結合解離の状態について新たな知見をもたらすことができる。
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