アイテムタイプ |
Article |
ID |
|
プレビュー |
画像 |
|
キャプション |
|
|
本文 |
AN10032394-20001130-0084.pdf
Type |
:application/pdf |
Download
|
Size |
:2.0 MB
|
Last updated |
:Apr 27, 2007 |
Downloads |
: 3848 |
Total downloads since Apr 27, 2007 : 3848
|
|
本文公開日 |
|
タイトル |
タイトル |
嘉納治五郎の柔道システムにおける教育及び体育思想 : 「大日本教育界」における演説から
|
カナ |
カノウ ジゴロウ ノ ジュウドウ システム ニオケル キョウイク オヨビ タイイク シソウ : ダイニッポン キョウイクカイ ニオケル エンゼツ カラ
|
ローマ字 |
Kano Jigoro no judo shisutemu niokeru kyoiku oyobi taiiku shiso : Dainippon kyoikukai niokeru enzetsu kara
|
|
別タイトル |
名前 |
Zum Erziehungsgedanken im jûdô des Kanô Jigorô(1860-1938)am Beispiel seiner Rede „Über "jûdô" im allgemeinen sowie sein Wert für die Erziehung“
|
カナ |
|
ローマ字 |
|
|
著者 |
名前 |
Niehaus, Andreas
|
カナ |
ニーハウス, アンドレアス
|
ローマ字 |
|
所属 |
|
所属(翻訳) |
|
役割 |
|
外部リンク |
|
|
版 |
|
出版地 |
|
出版者 |
名前 |
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
|
カナ |
ケイオウ ギジュク ダイガク ヒヨシ キヨウ カンコウ イインカイ
|
ローマ字 |
Keio gijuku daigaku hiyoshi kiyo kanko iinkai
|
|
日付 |
出版年(from:yyyy) |
2000
|
出版年(to:yyyy) |
|
作成日(yyyy-mm-dd) |
|
更新日(yyyy-mm-dd) |
|
記録日(yyyy-mm-dd) |
|
|
形態 |
|
上位タイトル |
名前 |
慶應義塾大学日吉紀要. 言語・文化・コミュニケーション
|
翻訳 |
|
巻 |
|
号 |
25
|
年 |
2000
|
月 |
11
|
開始ページ |
84
|
終了ページ |
112
|
|
ISSN |
|
ISBN |
|
DOI |
|
URI |
|
JaLCDOI |
|
NII論文ID |
|
医中誌ID |
|
その他ID |
|
博士論文情報 |
学位授与番号 |
|
学位授与年月日 |
|
学位名 |
|
学位授与機関 |
|
|
抄録 |
嘉納治五郎(1860-1938)は一般に武術としての柔道の創始者として知られている。が,日本におけるスポーツを確立した事,一般的な教育及び体育の教育者として多大な影響を及ぼした事実については余り知られていない。私はここで,1889年5月21日大日本教育会での嘉納の演説「柔道一班並二其教育上ノ価値」を取り上げ,嘉納治五郎の教育方針について考察してみた。更に私はこの演説の背景に明治時代の歴史的一社会的状況が存在している事を顧慮したい。まず,嘉納治五郎の履歴を,特に教育者としての彼,又,彼の学歴と様々な武術のトレーニング歴を追っていき,それに引き続き,明治時代の社会における武術というものの地位や意味について,体育一般について,学校教育への武術の導入に関して起った議論について考察していく事にする。これらの導入部の後に,この演説についての精密な分析が続く。この演説において,嘉納治五郎は初めて,公けに,詳細にわたり彼の柔道のコンセプトを陳述した事になる。彼のこの演説は,聴衆に対し,柔道を武術の一つとして取り入れた学校の体育教育のカリキュラムを長期的に確立するよう,説得する事を目的としていた。この演説を以下の観点から分析する:彼はこの演説を言語的-論証的に如何に構成したか?彼が自分の目的を達成する為にどのような戦略を用いたか(例えば,演説内容自体や柔道の実演はどのようであったか,聴衆の興味や期待に対しどのように対応したか)?嘉納は,新しい武術としての柔道を,どのようにコンセプテュアライズしているか(これは三つの要素に分類される:柔道体育法,柔道勝負法と柔道修身法等)?彼は柔道を,医学的な見地から学校で行われる運動として不向きである,と見做されていた他の武術とどのように区別する事が出来たのかどのようにして彼は一最適に一彼の武術のコンセプトと,明治時代の公立学校の体育教育が要求するものとを結び付けたのか(重要な点:柔道の規律を修身法の意義と結び付け社会に役立たせる)?この演説を考察していくにつれ,愛国者ではあるが,同時代の狂信的排他主義者達とは全く異なる,柔道の師範で又,その創始者でもあった嘉納治五郎像が浮かび上がってくる。彼は日本の教育システムに応用する為,日本の伝統と,近代的で西洋的な学問の知識や業績とを融合させる道を探していたのであった。
|
|
目次 |
|
キーワード |
|
NDC |
|
注記 |
|
言語 |
|
資源タイプ |
|
ジャンル |
Departmental Bulletin Paper
|
|
著者版フラグ |
|
関連DOI |
|
アクセス条件 |
|
最終更新日 |
|
作成日 |
|
所有者 |
|
更新履歴 |
Apr 13, 2009 | | フリーキーワード を変更 |
|
|
インデックス |
|
関連アイテム |
|