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AN10005325-20050000-0163  
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本文公開日
 
タイトル
タイトル 大正期青年団における公徳心の修養 : 一木喜徳郎の自治構想を中心に  
カナ タイショウキ セイネンダン ニオケル コウトクシン ノ シュウヨウ : イチキ キトクロウ ノ ジチ コウソウ オ チュウシン ニ  
ローマ字 Taishoki seinendan niokeru kotokushin no shuyo : Ichiki Kitokuro no jichi koso o chushin ni  
別タイトル
名前 Cultivating the public spirit by Youth Groups in the Taisho period: Kitokuro Ichiki's ideas of autonomy  
カナ  
ローマ字  
著者
名前 稲永, 祐介  
カナ イネナガ, ユウスケ  
ローマ字 Inenaga, Yusuke  
所属 筑波大学大学院博士課程  
所属(翻訳)  
役割  
外部リンク  
 
出版地
東京  
出版者
名前 慶應義塾福澤研究センター  
カナ ケイオウ ギジュク フクザワ ケンキュウ センター  
ローマ字 Keio gijuku Fukuzawa kenkyu senta  
日付
出版年(from:yyyy) 2005  
出版年(to:yyyy)  
作成日(yyyy-mm-dd)  
更新日(yyyy-mm-dd)  
記録日(yyyy-mm-dd)  
形態
 
上位タイトル
名前 近代日本研究  
翻訳 Bulletin of modern Japanese studies  
 
22  
2005  
 
開始ページ 163  
終了ページ 193  
ISSN
09114181  
ISBN
 
DOI
URI
JaLCDOI
NII論文ID
 
医中誌ID
 
その他ID
 
博士論文情報
学位授与番号  
学位授与年月日  
学位名  
学位授与機関  
抄録
本稿が主題にする大正期における青年団改編の試みは、日露戦後から展開される地方改良運動の一環として位置づけられる。政府は、内務省通牒「地方青年団体向上発達二関スル件」(一九〇五年九月) および文部省通牒「青年団二関スル件」(同年一二月) にあるように、日露戦後まもなくから青年団体に注目していた。その後、内務省と文部省は、一九一五(大正四)年に「青年団ノ指導発達二関スル件」(以下「第一次訓令」と略)を共同で発布し、青年団に対する組織化への関心を明白にした。当時の内務大臣一木喜徳郎(一八六七ー一九四四) によると、青年団の理想的な活動を表明したこの「訓令は健全なる国民、善良なる公民の養成に要旨を置き、剛健質実なる気風を発揮し、体力を鍛錬し、意志を訓練し、立憲国民として必須なる智能を啓発するを以て大眼目」にし、地方青年の進路に標準を設けるべく発布されたのであった。これまでの研究は、第一次訓令を、村落共同体で自然に生成した青年団体が漸進的に官製化する分岐点と位置づけている。例えば、平山和彦は、「若者組ならびに青年団における自治性の所在とその実態、および諸条件を明らかにする」目的から、同訓令と通牒およびその反響を検討した。彼によれば、同訓令は、青年が自発的に結集し運営した青年団体を、当時の陸軍軍務局長田中義一(一八六四- 一九二九)が主導し、広義の天皇制イデオロギーの注入教化の修養機関、狭義の軍国主義の教化を図る壮丁の予備教育機関へと変容させ、名望家支配体制を強化する性格を持つと論じられる。しかしながら、一木は、第一次訓令における青年団改編の主眼を「善良なる公民の養成」に置き、「青年団が発達して行きまするにも、外部より刺激を与へるのみならず、内よりして自ら発達して行くやうにして頂きたい」として、地方青年の公民精神や徳義心を酒養する立場から、後述する田中義一に代表される陸軍省の青年団構想を強く批判したのであった。「公民」や「立憲国民」の成熟という観点から、軍事目的に合わせた青年の身体と精神の組織化を批判した一木は、第一次訓令において、修養を軸にした社会関係の規範をどのように性格づけていたのであろうか。こうした問題提起とともに大正期の青年団改編に深く関わった一木の構想を分析することは、近代国家における青年団の役割を論じ直すことになろう。青年団の改編を検討するに当って、本稿が一木の構想を取り扱うのは、先行研究が当時の内務大臣である彼の政策理念を充分に論及しなかったという理由だけでなく、彼が民衆自治に実践的である報徳思想に習熟していたことによる。報徳思想とは、二宮尊徳(一七八七i 一八五六) による至誠、勤労、分度、推譲という四つの要文からなる道徳経済一元の生活様式に関する観念的体系である。一木は、二宮尊徳の高弟岡田良一郎(一八三九ー一九一五) の次男に生まれ、報徳社運動の身近に育ち、山県有朋系の内務官僚であった明治後期には、地方改良運動の実行組織と捉えうる中央報徳会(一九〇六年= 月に設立) の理事を務め、報徳思想の普及のために旺盛な活動を行った。一木は、中央報徳会における青年部の設立(一九一六年一月Vが、「地方改良事業の一として最も主要なのは地方青年団の改良発達を計るにありと確信し、… …青年団中央部を設置以来、我々に於ても努めて全国青年団相互の連絡をとり、其基礎を固うし、協同一致して進歩発達の途に向ふ目的に対し、幾何か犬馬の労に服したい」という意図のもとにあったと述べる。中央報徳会は、一九一六年に『帝国青年』を発刊することによって、日露戦後からの地方農村との緊密な連絡を青年団の活動分野に拡大させようと試みるのであった。その後、同青年部は、一九一六年八月に第一回青年指導者講習会を全国各地の青年団指導者を養成するために開催し、同年一一月に独立して青年団中央部と改称し、活動を拡大することになる。本稿は、この第一次訓令の政策理念を、先行研究のように天皇制イデオロギーや日本の軍国主義化にすべてを還元し評価するのではなく、青年団の改編を進める一木の構想のなかでも修養と自治に着眼し、地方青年によって構成される青年団の社会的役割を、その内的論理において明らかにすることを目的にしている。そこで本論では、一木の青年団認識を把握するために、まず彼が明治後期の青年団体をどのような団体として捉えていたのかを整理し、第一次訓令の分析を踏まえた上で、大正期における彼の主体形成論を考察する。続いて、田中義一と一木の公徳心の意味内容の比較分析を通じて、一木が青年団に対してどのような観点から関心を抱き、他方でいかなる役割を期待していたのかを解明していく。最後に、第一次訓令の政策理念を、一木の修養概念をもとに検討していくことにしたい。
 
目次

 
キーワード
 
NDC
 
注記
論説
 
言語
日本語  
資源タイプ
text  
ジャンル
Departmental Bulletin Paper  
著者版フラグ
publisher  
関連DOI
アクセス条件

 
最終更新日
Dec 22, 2008 10:32:21  
作成日
Nov 02, 2007 13:06:57  
所有者
mediacenter
 
更新履歴
Dec 22, 2008    フリーキーワード, 翻訳 を変更
 
インデックス
/ Public / 福澤研究センター / 近代日本研究 / 22 (2005)
 
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