本稿では,主観のれん説の収益・利得の認識規約を検討する。主観のれん説の著しい特質は,金融資産の保有損益を,実現可能基準によって認識することを明確に否定し,事業資産および金融資産を共に実現基準によって統一的に認識する点にあるといってよいであろう。本稿の目的は,そうした理解には,理論的にきわめて問題があることを明らかにすることにある。この点に関する斎藤の所説の骨子は,① 実現概念の本質をキャッシュフローの獲得とみること,② キャッシュ概念の拡大が不可避的に必要になり,その行き着いた先として,「現金収入額が契約で確定しているもの」および「いつでも自由に換金できるもの」としての金融資産もそれ自体がキャッシュフローとみなされ得ること,そして③ そうした拡大されたキャッシュとみなされた金融資産それ自体における時価変動差額つまり保有損益もまた実現概念で説明できること(事業資産を念頭において構成された実現概念を金融資産にも適用可能とみること),の3点に纏められるであろう。それらの対象理論的な批判的検討は,次稿以下において試みるが,それら3点の主張の仕方にも,理論的に問題があると筆者は考えており,本稿は,まずもって,そうしたメタ理論的な問題点を取り上げることにする。すなわち,① については,全体計算と期間計算との関係についての議論が欠如していること,② については,実現概念の本質規定が欠如していること,および拡大されたキャッシュ概念の性格が不明なことを指摘しなければならない。そこには,主観のれん説特有の独断論がみられるのである。
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