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Item Type Article
ID
AN10005325-20050000-0195  
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Caption  
Full text
 
Release Date
 
Title
Title 第二回京都博覧会の開催 : 「伝統都市」京都の黎明  
Kana ダイニカイ キョウト ハクランカイ ノ カイサイ : 「デントウ トシ」 キョウト ノ レイメイ  
Romanization Dainikai Kyoto hakurankai no kaisai : "dento toshi Kyoto" no reimei  
Other Title
Title The way to the Second Kyoto Exposition: dawn of "Tradition City" Kyoto  
Kana  
Romanization  
Creator
Name 吉岡, 拓  
Kana ヨシオカ, タク  
Romanization Yoshioka, Taku  
Affiliation 慶應義塾大学  
Affiliation (Translated)  
Role  
Link  
Edition
 
Place
東京  
Publisher
Name 慶應義塾福澤研究センター  
Kana ケイオウ ギジュク フクザワ ケンキュウ センター  
Romanization Keio gijuku Fukuzawa kenkyu senta  
Date
Issued (from:yyyy) 2005  
Issued (to:yyyy)  
Created (yyyy-mm-dd)  
Updated (yyyy-mm-dd)  
Captured (yyyy-mm-dd)  
Physical description
 
Source Title
Name 近代日本研究  
Name (Translated) Bulletin of modern Japanese studies  
Volume  
Issue 22  
Year 2005  
Month  
Start page 195  
End page 227  
ISSN
09114181  
ISBN
 
DOI
URI
JaLCDOI
NII Article ID
 
Ichushi ID
 
Other ID
 
Doctoral dissertation
Dissertation Number  
Date of granted  
Degree name  
Degree grantor  
Abstract
明治二(一八六九)年三月の天皇東京再幸により、京都は平安京遷都以来保ち続けてきた首都の座を失う。都市衰微への危機感を強めた京都の人々は、以後官民協力して勧業政策を積極的に推進し、京都の近代化、工業都市化に努めていった。その京都の近代化を語る上で研究史上重要な位置づけが与えられてきたのが、明治四(一八七一)年十月にその嚆矢を見、翌五年より本格的に開催され始めた京都博覧会である。京都博覧会は三井八郎右衛門、小野善助、熊谷直孝の三人を中心とした京都の有力商人三十四人が「所謂株主」となって博覧会社を設立し、それに京都府が全面的な後援を与えることで開催が実現した。丸山宏氏は、明治初期に全国各地で博覧会が開催されたことを「文明開化的現象」と称し、その中で京都博覧会を、他地域で博覧会熱が冷めていく中でも継続して開催され続けた「特異な存在」とする。一方小林丈広氏は、有力町人や公家社会出身者が京都の近代化に果たした役割を強調し、京都博覧会を彼らが江戸時代以来のネットワークを駆使して実現させた「京都の文明開化と経済的復興を実現する切り札」と評価する。それぞれ異なる問題関心から京都博覧会について検討した両氏であるが、文明開化という観点から京都博覧会を位置づけようとしている点では共通している。第一回京都博覧会の開催意義という点に限って見た時、この位置づけが正鵠を射たものであることは筆者も強く同意するところである。だが京都博覧会は形を変えつつ昭和初期に至るまで開催され続けるのであり、その京都博覧会の意義を文明開化という観点だけから説明し尽くせるものではないであろう。京都博覧会が近代京都の歴史の中で有した意味について、個々の博覧会の特徴や時代状況などを踏まえながら検討していく必要がある。そのような視点に立った時、筆者には明治六(一八七三)年三月から六月にかけて開催された第二回京都博覧会がとりわけ興味深いものとして見えてくる。第二回京都博覧会は、京都御所(禁裏御所と仙洞御所)を会場として開催されたという点で、第一回京都博覧会には見られない重要な特徴を有した博覧会であった。小林丈広氏はこの第二回京都博覧会における京都御所の利用について、かつての権威の象徴である京都御所が市民の娯楽や教養を酒養する場である博覧会のために利用されたという事実から、文明開化の延長線上にあるものとして捉える。だが京都御所の博覧会会場への利用という点を、はたして文明開化という観点だけから説明しきれるものであろうか。実は、第二回京都博覧会は京都御所の利用という点のほか、御物の展示というやはり第一回博覧会には見られない特徴を有していた。この御物の展示を文明開化という観点から捉えることは困難であろう。京都御所と御物とは、共に天皇に深く関係するものであるという点で共通した特徴を有する。その意味で第二回博覧会における京都御所の利用と御物の展示とは、同じ論理、思惑の中から実現されていったものだと考えられるのである。以上のような発想から、本稿では第二回京都博覧会の開催に至るまでの経緯について、御物の展示と京都御所の利用の両点を中心に検討していく。その作業を通して、第二回京都博覧会の開催が近代京都の歴史上有した意味について論じることを最終的な課題としたい。そのためにはまず第一回京都博覧会について若干の検討を行い、第二回京都博覧会の開催を前に何が課題として浮上していたのかを見ることから始めていくこととする。
 
Table of contents

 
Keyword
 
NDC
 
Note
論説
 
Language
日本語  
Type of resource
text  
Genre
Departmental Bulletin Paper  
Text version
none  
Related DOI
Access conditions

 
Last modified date
Dec 22, 2008 10:32:51  
Creation date
Nov 02, 2007 13:06:09  
Registerd by
mediacenter
 
History
Nov 2, 2007    フリーキーワード, 本文 を変更
Dec 22, 2008    翻訳 を変更
 
Index
/ Public / Fukuzawa Memorial Center for Modern Japanese Studies / Bulletin of modern Japanese studies / 22 (2005)
 
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